加賀眞砂子文庫特別展「鎌倉初期の景勝地 吹田殿」を開催しました

2022年11月19日(土)、20日(日)に浜屋敷ギャラリー兼音楽室で開催した「加賀眞砂子文庫特別展」の模様をご覧ください。

今回のテーマは「鎌倉初期の景勝地 吹田殿」。
吹田は風光明媚な土地で、鎌倉時代初期には「吹田殿」があったとされています。
「吹田殿」を建てて上皇や公家を招き、詩歌管弦の豪華な宴を催したのが、西園寺公経(さいおんじきんつね)、実氏(さねうじ)親子です。

ギャラリー内の様子。当時、都で権勢をふるった西園寺公経が、別荘を置いた四か所の景勝地を、年表とパネルでご紹介しています。
四か所の景勝地は、難波の天王寺(四天王寺)、宇治の槇島(平等院と花亭)、北山第(のちの金閣寺)、吹田殿。

吹田殿に関連する記録を、「増鏡」(南北朝時代の歴史物語)、「明月記」(藤原定家の日記)、「吹田志稿」(旧吹田村・吹田町の歴史書/亘節著)などから抽出した年表に、注目が集まりました。

吹田殿のイメージ図。宇治平等院をまねた寝殿造りだったと思われます。

加賀眞砂子文庫所蔵の関連資料もずらりと並んでいます。

「吹田殿」は跡形も残らず、その場所も謎に包まれていますが、「神境町古代傳記」(藤本五郎兵衞著)によると、吹田殿のあった位置を神境町とされています。
神境町は神崎川に近く、藤原家(西園寺家)と関わりの深い春日神社がありました(現在は高浜神社御旅所)。

神境町の春日神社では、かつて「お玉まつり」が行われていました。「お玉」をふんどし姿の男性が取り合い、みごと獲得した人は縁起物としてお玉を大切にされていたそうです。向かって左は椋木(むくのき)で、右は楠木(くすのき)のお玉です。「お玉まつり」は高濱神社に引き継がれ、昭和初期まで行われていました。

後藤圭二市長もご来館になり、大変興味深くご覧いただきました。

来場者アンケートより…
「吹田の町にこんな立派なものがあったなんて全く知りませんでした」
「父母の祖父母も ずっと同じ住所に住んでいるので 昔の有り様を 大変興味深く感じました」
「知られざる吹田の歴史が学べてよかった」
「吹田の輝いていた頃の様子を知ることが出来、嬉しかったです」
「この街でいろいろ学びながら暮らしていけることが楽しみです」
「資料に圧倒されました。すばらしい内容だと頭が下がりました」
アンケートにご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

なお、ご好評いただいた吹田殿のイメージイラストを、浜屋敷主屋の和室に展示しています。
よろしければご覧ください。